コラム:週刊モンモントーク
[64] 眠る瞬間−カッシーニの場合
1.土星Ⅱ
1997年10月15日4:43am、タイタンⅣ型ロケットがフロリダの青い空に轟音を残し吸い込まれていく。先端には
2000年12月30日木星をスイングバイ、土星軌道到着は2004年7月1日10:11pm(米国東部時間)。木星まで3年、そこから土星まで4年、計7年弱の旅の末、到着、結果的にそれから13年間、ミッションを遂行することになる。しかし遠い。ちなみに、天王星、海王星は、土星までの距離のそれぞれ2倍、3倍、それでも太陽系は終わらない。
その20年前、1977年に打ち上げられたボイジャー1号は、2012年太陽系を離れ
2.土星Ⅰ
1610年、ガリレオが自作の望遠鏡を土星に向けた時、リングを認識できずー認識・概念化って何かってよく分かるねー、ただただ、おかしな形の惑星だと面食らってる。リングがあるって最初に言ったのは45年後のホイヘンス、そして、その20年後、カッシーニがリングに隙間を発見、最大のものがカッシーニの間隙と呼ばれてる。
すべて、17世紀の出来事、科学革命真っ最中のキラ星の如きコペルニクス、ケプラー、ニュートンらと共に、まさに宇宙論の革命的パラダイムシフト。現在、そのリングの厚さはなんと、ほとんどの所で5m〜30mだと分かってる。
しかし17世紀は順調に歩みを進めたわけじゃない。1633年、当のガリレオが「地動説」を唱えたことで、異端裁判で有罪判決を受けた。でも、仕方ないのかな、あのニュートンでさえ、あの錬金術に没頭してたあの時代、時代の精神から誰もが逃れられない。でも、その裁判の誤りを認めたのが1992年って、遅すぎないか!?。
3.眠る瞬間
かつて昔、眠る瞬間って、誰にでも訪れるって思ってて、というか、自分にとって日常的な経験だったから、特に他人に話すことはなかったのだけど、ある時ふと、「死ぬ瞬間って、眠る瞬間みたいなもンかな?」ってボソッと言ったら、「えっ!?」て表情をされ、次の瞬間、爆笑された。死ぬ瞬間はスルーで、「眠る瞬間」ってのに食いついてた。
眠る時さ、何かこう、意識が沈んでって、消えたって思ったら浮かび上がって、また沈んで、そういうのを何度か繰り返して眠りに落ちるでしょって、その意識のなくなる瞬間が分かるでしょって言っても、その場の誰も、5人くらいいたかな、経験したことがなかった、「そんなの、分かるわけない!」だって。それ以来、誰にもその話は振ってない。
その頃はよく、空を飛ぶ夢も見てて、でも、その夢を見なくなった時、眠る瞬間を経験することもなくなった。夢の翼とともに、何かを失っちゃったのかな?。なかなか面白いエンターテイメントだったんだけどね。
4.土星突入
2005年1月14日、カッシーニは、
2013年7月19日、カッシーニは土星の陰からそのカメラを地球に向けた、「地球が微笑んだ日」(外部リンク)と呼ばれるスナップショット、土星の環の下に浮かぶ、青く輝く小さな惑星、点となった地球、それは、土星軌道に浮かぶ宇宙船の舷窓から見る光景そのもの、14.4億km彼方、文字通りすべてを乗せて、地球は回る。
そして、最後の時がやって来る、生命の存在や発生の可能性のある衛星、タイタンやエンケラドスを汚染しないように、自らは猛スピードで土星本体にダイブ、それでも、アンテナを地球へ向けデータを送信し続ける、が、2017年9月14日午前7時55分46秒(同上)、地球が受けた最後の通信...、その80分前には...。
5.エピローグとしてのモノローグ
その瞬間をカッシーニはどう迎えたのだろう。マッハ100の速さで吸い込まれていくその、消滅の瞬間、何を感じ何を思う?。朝の6時半(同上)最終送信を行い、その後まだ、45秒ほどは作動していたはずという。その最後の瞬間をカッシーニは、認識できたのだろうか。認識、それは自我の領域、自我の芽生えの条件は何...?。
-♪フランシーヌの場合はあまりにも悲しい-
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