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コラム:週刊モンモントーク

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[65] 「リベラルアーツ」という世界の切り方

1.「自由七課」
"Liberal arts"は「一般教養」って訳してたけど、何か違うってことで結局、「リベラルアーツ」になってる。当のアメリカ人もよく分かってない(外部リンク)みたいで、例の「日本人はダメ、欧米では...」って"出羽守でわのかみ"はお呼びじゃない。

発祥は古代ギリシャってのは分かるんだけど、だって、(奴隷制?)民主主義(成年男子だけ!)だったんだから、ポリスの自由民の学問ってことで。でも、中世ヨーロッパの大学で「自由七科」って呼ばれて、その全体を纏めるのが哲学で、その上に最高の権威として神学が君臨してたって、どうよ?、「哲学は神学のはしためのその"婢"って?。

それって近代的な意味での自由じゃない、あれ?、「真理は汝を自由にする」って意味での自由?、キリスト教的真理での自由は、その意味での精神的な解放、つまり、宗教的安らぎってこと。でも、中世ヨーロッパって、キリスト教成立以前の学問の体系を、綿密に精密に教義の中に収めたよね。何だって概念化出来る、人って本当、偉大...。

2.「人を自由にする学問」
リベラルアーツ・カレッジと呼ばれるアメリカ東部の名門校はもちろん、そんな中世そのまんまの教育をやってるわけなくって、人文科学から自然科学まで人類の英知を横断的に批判的に学ぶ、より良い生を生きるために。

それを普通、「教養」と言うが、それは博覧強記ってだけじゃない、人として生きる時、束縛を逃れ、肉体的に精神的に奴隷とならないように、何か+αを伴った何か。束縛からの解放を liberty とするなら、福沢諭吉がその訳語に仏教用語から「自由」を選んだのもうなずける。でも、束縛の内容は時と場所で変わる、だから...。

自由、つまり、liberal という言葉も、意味が変わり得るってこと、そりゃそうだ、言語そのものが、その時代やその地域のその価値観でその世界を恣意的に切り分けた概念化の体系、特に、自由や平等なんて究極の抽象的概念は違って当然。現に、日本で言う「リベラル」って世界標準の liberal とかなり違ってる。

3.自由な行動と発想
束縛のある所に自由は希求される、逆に、縛られてるって意識がなければ、自由の価値は分からない。だから、自由は好き勝手して狼藉を働くことじゃない、そんなことは分かってるって言うけど、日本人はっていうか、西洋的リベラルアーツの伝統がない文化では、腹の底からは分からない、だって、それを文化の違いと呼ぶのだから。

行動だけでなく発想もそう。欧州17世紀の危機は、科学革命をももたらした17世紀の奇跡、上記、中世欧州の大学の体制が宗教への不信から大きく揺らいだ時、その"婢"、哲学も存在理由を疑われ動揺、重しの取れたリベラルアーツが文字通り、束縛を解き放つ技術となり、科学の方法が革命的変化を遂げ、近代的理性が誕生する。

どの文化が優れてるってんじゃない、それぞれがそれぞれの価値観で、人として完成された状態を概念化し、躾や教育を施してきたはず。問題は現代社会が、西洋的伝統の流れを汲む価値観のもとに営まれてるってこと。

4.「リベラルアーツ」
それは人を自由にする学問だ、って言った時、自由の定義が問われる、そもそも普遍的な定義が出来るのかも含めてね。だから、それは束縛を解き放つ学問だ、って言おう、束縛は常に具体的に現れるものだから。

が、人は永久に束縛から逃れられない、人は文化なしでは生きられないが、文化は一種の束縛。ある束縛から解放され自由を得たその瞬間、新たな束縛の種が萌芽する。それは、真理を目指す永遠の弁証法的運動であり、絶対矛盾の自己同一を目指す永久機関となる。人が人である限り生み出される文化の持つ特殊性に伴う抑圧感。

リベラルアーツの役割は、その文化が世界をどう認識してるか、世界の成り立ちをどう了解してるかを明らかにすること、その了解のメカニズムをも含めて、その価値観でどう世界を切ってるかを意識的に捉えること。世界そのものの認識とその世界の切り方の認識、それが創造を生む前提、創造とは世界観の更新なのだから。

5.「普遍的人権主義
文化に優劣はない、は正しい、問題は、ここホントに強調、17世紀のパラダイムシフトを経たヨーロッパ文化の価値観が世界を動かしてるってこと、そしてその価値観が、清濁すべてを進める上で、破壊的に有効だってこと。

いや、有効だったって完了形かな。アメリカナイゼーションと揶揄されてきたグローバリゼーション、世界を平らで均一な価値観で覆うグローバル化の限界が見え、様々な問題が吹き上がっている、それはやはり、何かに支配され束縛されることへの怒り、リベラルアーツは、この近代の行き着いた袋小路をどう認識し、どんな処方箋を書く?。

「子供に、日本文化が優れてるなんて一言も言ったことはない」って誰かが誇らしげに言ってたけど、もちろん、文化相対主義とか持ちださなくても、御説御尤おせつごもっともその通り、でも、文化は社会安定の装置で、reticence とも形容される日本文化が、この21世紀の騒々しさを少しでも和らげられるのなら、少しくらいその長所を誇ってみてもいいかも。

6.自由への階段(Stairway To Liberty)
文化が価値観の塊で、行動や発想がそれに規定され感情の源がそこにあるなら、その足枷の正体をまずは知ろう。どこからか湧き出る感情が、結局は社会を動かしてるのなら、その感情をその社会に文化に最適にチューンナップしよう。感情が行動を促すセンサーなら、その精度を高めよう。自分の価値観が文化そのものになる時...。

感情のままに行動してなお、理知的で理性的との評価を得るなら、それが本当の自由自在。魚にとっての水は一種の抵抗、そこから逃れられないって意味での束縛であり足枷、でも、水があるから自由に泳ぐ、鳥にとっての空気も同じ。文化は人にとってのそれ、違いは文化や価値観は後天的だってこと、だから、人だけが問題を作り出す。

でも、感情的な行動が理性的の範疇って、「七十にして心の欲する所に従ってのりえず」ってこと?、やっぱり中国はスゴい、ギリシャと同時期、東洋でも孔子がリベラルアーツを説いていた!?。でも、70歳って遅すぎないか?。

7.「リベラルアーツ教育」
リベラルアーツという概念もひとつの創造、文化をまずは与件として受け取り、その成立を構造を変容を深く学び、その中で生きる自分の可能性を探る、それが、自由の追求。そしてその必要条件は成熟した文化、文化を価値観を批判的に考察し、変えるべきもの継承するもの、どう変えるのかと思考し判断し行動する、自由にね。

しかし、学際的に知を習得し、社会や人の営みを見切り、感情に理性の一翼を担わせ、自由自在に自己実現を図るのが、西洋のリベラルアーツの伝統なら、恐るべし、その文化の系譜。帝国主義に続く、20世紀のあの二つの大戦と核戦争一歩手前まで行った冷戦はやはり、必然だったのか?。恐るべし本来、善悪の区別のない、その創造力。

文化が違えば内容も違う、米国とは違う日本のリベラルアーツがあるはず。学問の価値観の中心は、しょうがない、西洋文化、でも、日本のコア・古層、日本文化を忘れるな、新しい和魂洋才の時代の到来。

8.エピローグとしてのモノローグ
理性は感情のひとつであるとの考えは変わらない、が、ある条件がそろえば、感情が理性の一部に成り得るとの洞察は、文化の成り立ちからして頷ける、それは集団の生存本能に根ざした集団の物語なのだから。

しかし、17世紀からのこの400年の逆巻く怒濤の中で、失われたものと得られたものの収支決算はどうだ。人はより自由になったのか。自由になりたいという感情は理性を突き動かし、肉体を精神を自由の高みに導いたのか。

-♪There's a sign on the wall but she wants to be sure
'Cause you know sometimes words have two meanings-





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