コラム:週刊モンモントーク
[43] 「自由な教育」という欺瞞
1.「自然に帰れ」?
大自然の中で伸び伸びと自由に過ごし、素直にスクスクと逞しく育ち、感受性が豊かで情緒に富み思いやりがあり、優しい気持ちで他人に接する子供に成長する、のかな?って?、子供って自由に伸び伸びと素直に育つのかって問いの答えは、もう、みんな知ってる(よね?)、自然に放っておいて、"立派な"大人に育つなんてことあり得ない。
問題は、なぜ「大自然の中で〜」が、世の教育者を親を惹きつけるのか、なぜ「北の国から87初恋」に、あの雪原の大自然にキタキツネに涙するのか、「自由」が持つ共通の原風景があるのか。近代以降「自由」にスポットライトが当たって以来何度も、「自由な教育」は試みられ、その度に手痛い現実に、「恐るべき子供たち」に裏切られてきた。
ちなみにルソーは、「自然に帰れ」とはどこにも書いていない、が、それでもあのルソーがそう言ったと、まことしやかに広まっているという事実(脱真実?)、それほど人工的な社会は生き辛いと皆、感じている、何なんだ、一体?。
2.「智に働けば角が立つ
教育が、社会へ出ていくための準備を意味するのなら、社会に有用な人材を育成するのなら、その社会の中で自己実現を目指す個人を手助けするのなら、「自由な教育」はあり得ない。そして、「自由な教育」を実践した瞬間、その教育は、難問に突き当たる、何をどう教育すればよいのかという問題に、自由とは何かという問題に。
ちなみに漱石は、だから詩人や画家が生まれる、と続ける、いわゆる「自由人」≒「高等遊民」?の誕生、自由とはかくも摩訶不思議な概念。確かなことは、教育に自由は馴染まないということか、何なんだ、一体?。
3.「黒い白鳥」?
だから、「自由な教育」は形容矛盾、「黒い白鳥」や「未来の記憶」、
が、「正義の戦争」はどう?、あり得る?、ことになってる?、「戦争」は悪(だよね?)だが、必要悪(なの?)だとの想いから「正義」という錦の御旗で修飾する。てことは、「自由な教育」を推進する人は、「教育」は必要悪だと感じてる?、いや、教育は善のはず、それなしでは、自己実現はおろか社会での自立さえ出来ない!。あれ!?、「善悪」って何?。
ちなみに "Black Swan" はオーストラリアに存在する。それまで Swan は、白い鳥と決まっていた、その発見の衝撃でそれ以来、あり得ない起こり得ないが、もし...の象徴、和訳は「黒鳥」。でも、「必要な悪」って、何なんだ、一体?。
4.「考える教育」という艤装
この現実社会の中で、「自由」に意味を持たせるとすればそれは、想像し創造する自由な精神、という文脈の中での自由、それは、あらゆるものからの自由ではない、想像し創造するためには、成熟した文化が必要で、創造性やイノベーションは、確固たる文化の上に生まれる、考え抜いた末に閃く、文化を継承してこそのそれ。
だからすぐに、子供中心の教育とか言い始める人は、文化を当然の与件とし文化を突き放して見られない、文化論なしでいきなり教育論をぶち始める輩。でも、子供は新参者、当然じゃない学ぶべきもの、学ばねばサバイバル出来ないもの、が文化。そして、その社会に絡め取られないように手に出来る唯一の魔法の武器が、「考える」って力。
ちなみに艤装とは、もともとは艦船が航海の、あるいは、戦闘の準備のため種々の装備を取りつけること、なら、人生の航海に、社会での戦闘に備え、艤装を施すことが教育とも言える...、本当?、教育って、何なんだ、一体?。
5. 「タウマゼイン」という体験
それでも、子供の持つ無限の可能性を信じて、彼らの自発性を尊重し寄り添い、その成長を育みたいという抑えがたい想いを抱く、なら、それもやはり文化にビルトインされた価値意識、子を慈しむ本能に裏づけされた価値観、子供達が純粋な天使に見えるならそれは、より良い社会を残してあげたいという種保存の本能から来る価値観。
しかしその、子供に感じるすべては人全体に感ずべきもの。無限の可能性は人である限りあり、それが自由という感覚を生む。が、その可能性はやはり、可能性に過ぎず、様々な制約を受けるのは子供も同じ。つまり、子供達を見る目はかつての自分を見る目、そして、今の自分を見つめ吟味し、明日を想う、人はそんなふうに出来ている。
ちなみにタウマゼインとは、ギリシャ語で「驚愕」、知的探求が始まる動因。若者が、自己の文化を客体視し乗り越え、その「何なんだ、これは!?」という驚異の感覚を意識的に意識した時、教育は完成する−「何なんだ、一体?」。
6.エピローグとしてのモノローグ
やっぱり、
文化とは抑圧、が、個人を守るもの、自分探しは、自分の物語作りは、自文化の中でこそ可能。結局、漱石も鴎外も、日本文化へ回帰した。伝統の中での自己実現、というか、人生の意味ってそうゆこと、本当は誰も教えてくれない、どこにも転がっていない、自分で創造するもの、そして、その創造のためには...。
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