作文・小論文−入学・編入試験対策、さらに超えてその先へ

コラム:週刊モンモントーク

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[7] 「自由」と「平等」

1.「自由」になりたい
何だろう、自由になりたい!、というこの突き上げてくるような感覚は。あのコバルトブルーの大空を、どこまでも自由に駆け巡ってみたいというこの感情は。人は一人で自由に生きられない−理屈ではもちろん、本能でも知っているはずなのに。自由になりたい!、それはある種...、と・て・も・危険な感情。一体、どこから湧きいでてくるのか。

人は、その感情を封じ込めるため、様々な工夫を社会に埋め込んできた。「好き勝手にはさせない!」と。なぜ?、集団が崩壊するからだ。掟、しきたり、戒律、家訓、道徳、法律、契約、教育、約束、決まり、何と呼んでもよい、郷に入っては郷に従え。そう、文化だ、価値観だ。問題、ではなぜ、そんな危険な感情が、人にはあるのか。

いや、なぜではない、逆だ。そのような個人が集団が生き残ってきた。「自由に!、もっと自由に!」という、抑えても抑えきれない想いが、人類を導いてきた。「出アフリカ」をも敢行させた、自由へのあこがれ。アンビバレントな感情。

2.「平等」になりたい?
けど、平等になりたい!、は、ある?。みんな平等であることが大切だ、その通り、でも、それは理性的な議論。その裏にあるのは、「お前だけ、あんた達だけ、ズルいっ!」という感情。嫉妬...!?。そう、「好き勝手にはさせない!」を支えるもの、個人の、集団の行き過ぎを防ぐ感情。理性がそれを、「平等」という概念に昇華させた。

「機会の均等(平等)」か「結果の平等」かという議論も、感情的には無意味。それは、理性的議論なのだから。感情では両方ともだ、「オレも仲間に入れてくれ、んでもって、自由にやりたいよ」が、その心。そう、平等になりたい!、というフレーズが奇異な感じを与えるのは、だからだ。理性が、「平等」という概念を創造した。

が、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る社会」に、理想的な響きを感情的にも感じるのはなぜ!?。それが、苦しみのない社会を、平和な世界を、理想的な、真に「自由で平等」な「ユートピア」を感じさせるのはなぜ!?。

3.「自由」と「平等」
自由と平等は、微妙な均衡の上に成り立つ、と言うか、過去、人類が、真に自由であったことも、真に平等であったことも一度もない。だから、自由で平等な社会は、その二つの微妙な均衡の上に成り立つはずだ。理性がそれを司るはずだ。人は、平等な環境の中で自由に自己実現ができるはずだ。理性的に考えてみろ、ほら、できる、は・ず・だ。

感情的になるな。自由と平等は互いを排除する、両立しえない矛盾する概念。自由は「動」で、平等は「静」だ。二つとも本来、感情的な衝動、感情的になった瞬間、その均衡は瓦解する。しかし人は、感情的になるなという理性の警告に従えない。そのどこからか突き上げてくる感覚を感情というのだから。そう、その均衡は最初から崩れている。

おそらく、自由の反対概念は束縛ではなく平等。あるいは、束縛された状態が平等。自由に草を喰み、平等にライオンに狙われるシマウマの群れ、その絶妙な均衡に、苦しみのない理想的なユートピアを見た。ああ、創造者の采配。

4.「自由」追求の果てにあるもの
「自由に!、もっと自由に!」という想いの、自由になりたいという欲求の、根源は何なんだ?。何のための本能的感情なんだ?。それはおそらく、かつて食物連鎖の最下位に位置していた人類の、生への衝動ー生きたいーが引き起こす感情。今のやり方を捨てねば生きられぬ状況で、次の新たな糧の可能性を求める欲求。生き抜くための衝動。

「昨日と同じ今日」が死を意味した時、好き勝手とはほど遠い、過去に囚われない「利己的な遺伝子」のみが生き延びた。新しい生の可能性を求める、自由という感情の原点。自由とは無限の可能性の追求だ。人だけが持つ、人が人である理由の根幹。今でも、新たな何かを常に求め続ける衝動。あらゆることに、とにかく「自由に!、もっと自由に!」。

しかし、「自由」とは、苛烈な競争の肯定。そんな状態に人は耐えられるのか。各個人の可能性の追求、「万人の万人に対する闘争」。弱肉強食の世界の出現、一人で挑め!。そんな自由に価値はあるのか。価値!?、それは...

5. 「平等」の追求の果てにあるもの
かつて、差別や区別は当たり前、「格差」は問題になりようがなかった。それらはあって当たり前、王と民衆、皇帝と奴隷、わが民と蛮族、異民族。空気となる文化、誰も疑問に思わない価値観。「昨日と同じ今日」の毎日。でも、「なぜ貴方たちだけ、特別?」と問う人が増えれば増えるほど、「それ、おかしいよ!」という衝動が沸き起こる。

そして、「平等」は「自由」とペアになり、最高の価値観へと昇華する。平等のために連帯し、自由に生きる、それが、人本来の生のあり方だという消しがたい想い。かつて、「王権神授説」を考えた「理性」が、「基本的人権」を唱える。普遍的価値観の誕生。万人が感情的に納得する価値観、時の特権階級でさえも。「啓蒙専制君主」という自己矛盾!?。

しかし、「平等」とは、特別な存在の否定。そんな状態に人は耐えられるのか。平等にライオンに狙われ、それも人生と皆が達観できるのか。個人にとって自分は、いつも特別な存在。そんな平等に価値はあるのか。価値!?、それは...

6.自由」と「平等」は両立するのか、しないのか
世界の均衡が崩れた時、自由と平等の均衡も崩れた?。いや、人類にとって、世界が均衡してたことはない。「近代」は17世紀に準備され、20世紀に悲劇的クライマックスを迎えた。自由と平等の相反する性格を直観的に見抜き作り上げた理想、「博愛」は機能しなかった。自由は抑えきれてこそ自由、平等は区別しきれてこそ平等なのに。

自由と平等を両立させろ!、「博愛」の力で。自由は万人に可能性を与え、創造を生み出す。平等は万人に可能性を準備し、安定を生み出す。自由と平等が絶妙な均衡を保ち未来が予測可能になった時、自由と平等は、おそらく両立する。しかし、その状態を「自由」と呼べるのか。「自由」は、抜くことのできない伝家の宝刀となる。

自由への志向は永遠の孤独をもたらし、平等への志向は束の間の連帯をもたらすのみ。人はどちらにも耐えられない。「solitaire(孤独)とsolidaire(連帯)は、見分けが付かないくらい、よく似ている」。「理性」への不信、再び。

7.エピローグとしてのモノローグ
あの山を越えて、この海を渡って、大空の彼方へ、宇宙の果てまでも行きたい。人だけが想う想い。古来からある旅が主題の物語、あるいは、ズバリ「○○の旅」というタイトルの小説。血沸き肉踊る、とくれば冒険。思わず引き込まれる心。子供の頃夢中になり、いつか自分もと夢見た冒険大活劇。何なんだろう、あの、この、高揚感をもたらすものは。





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