コラム:週刊モンモントーク
[9] 「モンモン」しよう!
1.「悶々」とする
「もーイヤダ、こんなの」「何かおかしい」「わけがわからないよ」と悶々とする、他人から見ればほんの些細なことから、誰が見ても重大な社会的問題まで、現代人なら誰もが感じる気持ち。打算に長けた大人なら―というか、そうなることを「大人になる」というが―「仕方がない」を最後の言い訳に、優先順位をつけ対処する、フリヲスル。
が、特に正義感の強い思春期・青年期には、その得体の知れない圧迫感に「実存の危機」を感じる。社会は世界は、美しさと正義に満ちているはずじゃないのか。そう教えてきたじゃないか。「おかしいよ」、沸き起こる反発、有形無形の反抗、身近な人や社会から世界へ向かう。それは、正義感の裏返し。結局は自分自身を傷つける、知ってか知らずか。
現実への疑問や不満、「不条理」への怒りは、調和と正義を歪め美を損なう何ものかに対する怒り。実はそれは、人だけが持つ特権、人だけが経験する苦悩、悶々とする。
2.「モンモン」できる?
問題意識を持つとは、そんな自分の感情さえ俎上に上げるということ。そして、その怒りの源泉を、第三者の目で見つめ考察し分析すること。それは「正しい」怒りの感情か、他人の共感を得られるか。何より、感情が収まった時の自分の共感が得られるか。自分の感情は、センサーの役割を「正しく」果たしているか。感受性は豊かか。
自己の「座標軸」から考察し、「正しい」と判断できるなら、もう「悶々」とする必要はない。その変だと感じる現実を、変革できる可能性を探るんだ。考え、判断し、行動する。ただし、その「座標軸」をも、常に問題意識を持って批判的に検討することを忘れるな。「普遍的真理」はないのだから。
「不条理」への怒りが、人が人である証なら、人類の発展を支えてきた原動力の一つなら、もっとポジティブにその感情を捉えられる、注意深く楽観的に「理不尽」に立ち向かえる。そうだ!、モンモンしよう。
3.「モンモン」しよう!
「モンモン」するとは、人の可能性を信じること、それは、自分自身の可能性を信じること、そして、自分の属する社会の可能性を信じること。怒りに震える時、悲しみに沈む時、無力感に苛まれる時、その感情を客観的に見つめ、批判的に考察する。その感情を生み出した自分を誇ることはあっても、恥じることはない。
人の感情は、何かを求めて湧き上がる本能、創造力の源泉、自由への憧憬、可能性の追求。感情は理性では止められない。が、感情が収まるのを、理性は待つことができる。しかし、収まった時、その感情の感じを忘れてしまってはダメ。自分自身のセンサーを信じて、すべきこと、できることを考えるんだ。
怒りが収まったなら、すべきことをしながらあえて怒れ。それが、感情をコントロールするということ。感情的になるなとはそういうこと。感情のない人は人じゃない、自分を、他人を、社会を、未来を信じて、モンモンしよう!。
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