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コラム:週刊モンモントーク

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[59] 新しい「功利主義」の時代‐火の鳥編‐

1.「定言命法」ー幸福の形Ⅰー
モンモン: せんせー、「カラマーゾフの兄弟」、読み始めたんだけど、誰がどうなってんのって言うかァ...結局...。

先生: ほー、何がきっかけかな?。

モンモン: 新訳が読みやすいって聞いたし、小説の中の小説、なんでしょ、人生を変える本とか、魂の救済とか、すべてが詰まってるとか、若い内に読めとか、東大教授が進める本、第1位とか、何かスゴいよね。

先生: う〜ん、それじゃ、まだ早いかも知れないな、しかし、せっかく手に取ったんだ、登場人物を整理しながら、相関図を書いて、ゆっくり読み進めるのもいいかな。ロシア人の名前とその愛称に注意してな。

モンモン: うん、私はやっぱ、美少年で真面目なアリョーシャがいいんだけど、ちょっと真面目すぎるんだけどね...、でもまずは、あの有名なセリフ、イワンの「神がいなければ、すべてが許される」だよね?。

先生: まあ、ドストエフスキーが、イワンにそう言わせているんだがな。

モンモン: え〜、それはそうだけど...、でも、何で"神"なんだろ?、もうそこで分かんないんだよね、神様が出てくる意味が...、神様なしで考えられないの?、結局...、芸術や創造って、結局、自分の文化から逃れられないの?。

先生: だから、分かっててわざと問題提示しているんだ、自身、社会主義者として銃殺刑直前まで行ってるからな。その後、転向してキリスト教(正教)による、それだ、魂の救済を追求、になるんだが...。ただ、本人は続編の構想を持っていて、実現しなかったんだがそこでは、そのアリョーシャが共産主義革命のテロリストになるって話だったらしい。

モンモン: え〜、そんな...、敬虔な修道僧なんだよ、なんでェ...?。

先生: って問題を当時のロシアの状況を基に問いかけたかったのだろうな。そしてそこで描いた、宗教や国家や個人や家族の問題が普遍性を持ち、世界的な大傑作となったのだろう。

モンモン: でも、何で"神"なんだろ?、やっぱ、分かんないよ。「すべてが許される」って、神様がいてもいなくても、皆、やっていいことと悪いことくらい分かるでしょ?、普通...。

先生: 普通ってどういうことだ?。

モンモン: それは、普通って普通でしょ、冷静に理性的に考えれば分かるって言うか...。

先生: そこだ、倫理や道徳の問題は、"普通"、善悪がすぐに判断できそうだけど、実際は一筋縄ではいかない、正義とは何かってことなんだけど...。

モンモン: 人によって違うってこと?、ここでもまた、懐疑論?、「17世紀の危機」を乗り切って来たんじゃないの?、300年近くたってるよ。

先生: ああ、その100年前、18世紀後半に、カントが「実践理性批判」で、理性に基づく道徳のあり方について論じてはいるんだ。まさしく、"普遍的な"理性の判断に冷静に従えという結論なんだが...。

モンモン: それって、またあれ?、何だっけ、先天的とか先験的?、...人間なら皆、理性、持ってるでしょみたいな...。

先生: そう、だから、「もし〜なら」、っていう仮定や条件なしで、つまり、損得勘定なしで、善悪を判断できるって結論だ。そして、それを実践しろって...、それが義務だって...。

モンモン: そりゃそうかもだけど、それって難しいよね、分かってはいるけどねって、普通の人には無理じゃない?。

先生: カントも気づいてて、「実践理性」が最高善を求める時、「自由」「魂の不死」「神」が要請されるって言ってる。

モンモン: えー、やっぱ結局、そこに来る〜...。

先生: 「自由」は、道徳的真理を実践するために、「魂の不死」は、この現実世界ではその真理到達は無理だから、「神」は、その真理の実践と幸福が一致する根拠として、それぞれ要請されるって...。

モンモン: えっ?、カントさんって頭良すぎて一周回って来ちゃったって感じだね。マジメ君、だったんだね。

先生: ただこれは、「純粋理性批判」で捉えた理性のあり方で道徳の実践を行うと、って話なんだ。「真理」は「物自体」と同じで分からない、が、人なら、先天的に備わった"普遍的な"理性が、"普遍的な"善を意志し実践出来る、いや、しろってこと。でもその時、現実世界では同時に幸せになれるとは限らない、が、道徳的実践が同時に幸福となるような世界を理性は理想とする、その精神の高みを保証するようなものを"神"と表現したんだと思うな。

モンモン: そっか、神様ってわけじゃないんだ。人間って何だろう、生きるってどういうことって一生懸命考えに考えて、分かってるのになぜ出来ない!、って直観的な問いを突き詰めたんだ、人はこんなふうに出来てるってね、結局は!。

「定言命法」とは、仮定や条件という主観を入れず理性が正しいと判断することを行え、というカントの道徳律。人類が普遍的に持つ理性に基づき、普遍的な善を追求し実践する中に、それを目指す自由意志があり...。


2.
「最大多数の最大幸福」ー幸福の形Ⅱー
モンモン: でも結局、そんなの理想論だよって言われたら終わりだよね、もともと「本当」が分かんないんだし...。損とか得とか考えず一番いいと思うことをすれば幸せになれるって、言われてもね、皆がマザーテレサになれないよ、ムリ...。で、もし皆がそうなってればとっくに、戦争どころか、すべての争いがなくなってるよね、ムリ...。

先生: ああ、悲しいがそうだ、で、同時代に「道徳論」を違う角度から唱えたのがベンサムだ、「快楽や幸福をもたらす行為が善である」って。経験的な快楽や苦痛から論を組み立て、「功利主義」って呼ばれる。

モンモン: 経験?、ってことはイギリス経験論の流れだね。じゃ、さっきのカントは大陸合理論ってこと?。

先生: うん、カントは合理論と経験論を批判的に統合したと言われているんだが、やはり、合理論的な考察が主で、だから、ああいう結論になったんだろうな。

モンモン: でも、ベンサムって、あの「最大多数の最大幸福」ってのでしょ。分かりやすいんだけど、それでいいのって感じするよね、快楽の追求とか自分の幸福とか...、それで皆も幸せ、みたいなのでいいのって...。

先生: うん、その感覚だ、それが、カントの直観だ、「人ってそれでいいのか?」ってベンサムへの反論は、それこそ、理想を追う理性そのものだ。日本のあの三木清も「社会的快楽説」ってレッテルを貼ってマイナスに捉えとる。

モンモン: う〜ん、カントの理想は崇高すぎ、ベンサムは現実を楽観しすぎってこと?。

先生: ま、ベンサムは誤解されてて、別にエゴイズムを推奨したわけでもないし、多数のために少数を犠牲にしてもよいと考えてたわけでもない。社会全体の幸福が最も大きくなる道徳的な基準を探ったんだ。

モンモン: あれじゃない?、「神の見えざる手」っての。18世紀後半のイギリスでしょ、産業革命が進んで社会が豊かになり、アフタヌーン・ティーとかが始まったんだよね。経済も人々の道徳も、放っておけばうまくいく、みたいな。

先生: ...なるほど...、アダム・スミスの「国富論」がその10年ほど前だ。ちなみにスミスは、「見えざる手」と一度書いただけで「神の」はないし、ベンサムはそのようなことに触れていない。でも、時代の雰囲気としてあり得るな。

モンモン: え〜っ、「神の」って言ってないの?。...でも、西洋近代の歴史って、道徳的にはカントよりベンサムだよね。ベンサムを批判するのは、図星を突かれてきまり悪いってのがあったんじゃないの?。

先生: 確かに、西洋社会のその後の歩みを見るとそうだな。そして、ベンサムの70年後、19世紀後半に、ミルが「功利主義」を発展させてることからも、根強い支持はあったのだろうな。ミルは、ベンサムへの批判を乗り越えるため、「満足した愚か者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」と述べて、快楽の質を問題にしたんだ。

モンモン: それって、いい快楽と悪い快楽に分けようってこと?、でもって、いい快楽は追求していいよって?、で、いい快楽って精神的なものだって言うの?、分かるんだけど、それって、カントに近づいてるよね、結局。

先生: ただ、カントは仮定や条件は排除しろって言ったんだ、こうすれば幸福になるとか、こっちの方が価値があるとか、普遍的に言えないってね。対してミルは、価値のある快楽って視点を加えたんだ。

モンモン: カントは普遍性に徹底的にこだわったけど、ミルは違うってこと?。ベンサムは批判を受けたけど、やっぱり、普遍性にこだわってたんだよね、70年間で時代の雰囲気が変わったってこと?。

先生: いや、ニーチェの「道徳の系譜」が、ミルの26年後の1887年だ、まだまだ、普遍的な真理があるって確信は強かっただろう。ちなみに、「カラマーゾフの兄弟」は1880年出版だ。

モンモン: う〜ん、理論としてはミルよりベンサムの方が普遍性があるんだよね、でも、ミルは、というか、批判する人は、すべての快楽が同じ価値を持つってのは許せなかったんでしょ、てことは、その"普遍性"そのものに疑問を持つところまでもう一歩だったのにね。でも皆、真理って何かって悩んでたんだね、結局は!。

「最大多数の最大幸福」とは、ベンサムが唱えミルが発展させた「功利主義」の原理。それぞれの個人が快楽や幸福を追求する中で、社会全体の幸福が増大、それが、各個人に返っていき、そこに、社会正義があり...。


3.「共通善」ー幸福の形Ⅲー

モンモン: でも、いつも思うんだけど、結局それって帝国主義真っ盛りでしょ、幸福がっ!、とか言われても、自分たちだけの内輪の話?、普遍的って狭いねー?って。外にはそうだし、内には2度の世界大戦を止められなかった。あの2度の悲劇的な戦争って、きちんとって言うか、公平に研究されて、反省が人類の財産になってるの?。

先生: 政治的には色々あって難しいが、客観的に世界情勢を見ると、第二次世界大戦を境に大きく変わっている。まず、植民地がほぼなくなりヨーロッパ人が憑き物が落ちたように変わった、そして、あのアメリカで公民権運動が起きた。政治的には、第二次大戦の結果で正義が確定したはずなのに、実際は、何が正義か分からなくなったんだ。

モンモン: だから、社会主義国が輝いて見えたんだね、一部の人達には、地上の楽園とか言って。あのベトナム戦争の時の、ドミノ理論?、共産主義革命が広がる怖さも、少し分かるかな。

先生: 西側諸国には、民主主義と自由主義経済っていう入れ物っていうか、手続きだけが残って、それこそ哲学が喪失してしまったのかもな。すべては相対的、何だって言えるっていうポストモダン的な言説が出始めるのもその頃だ。

モンモン: それが今も続いてる?、でも、ソ連の崩壊や中国を見ると共産主義は最悪だよね。もう、どうにもならないってこと?、このパッチワークみたいな社会改良を続けるしかないの、結局?。

先生: いや、正義に関しては、1971年にロールズが「正義論」を世に問うて、仕切りなおしが始まった。
 
モンモン: ズバリの題だね、でも、大戦後25年もたってやっと?、で、どんな内容?。仕切り直しって言うんだから、やっぱり、普遍的な正義って話?、で、流れから見ると、自由主義がいいよって話になるよね。
 
先生: そうだ、核心は「公正としての正義」で、ロールズは結果としての格差はある程度認めながらも、機会の均等(平等)を徹底的に追求すべきとし、「無知のヴェール」って概念を提唱する。各個人が自分の、置かれた状況も能力も出自も何もわからない状態で、生き方や社会制度について考えると、結論は同じになると主張するんだ。

モンモン: それが、公正な社会ってこと?、自由で平等な...。でも、その「無知のヴェール」って、あのルソーの「自然状態」に似てるね、「原始において、人間は平等であった」、みたいな。

先生:うん、ロールズは、ロック、ルソーの「社会契約説」の上で、正義論を展開してる。「無知のヴェール」の下で合理的に判断した生き方や社会制度、そのルールに則るべきだって。
 
モンモン: えーっ、やっぱり結局、17世紀!?。

先生: まあ、ルソーは18世紀だがな。

モンモン:でもって、その、合理的に判断、って理性的に判断ってのと一緒じゃないの?、んで、〜すべき、って、義務ってことでしょ、なら、もろカントじゃないの?、結局...。
 
先生: ...カ、カントにも影響を受けてるんだ...、理性とは言ってないんだが...。
 
モンモン: エーキョーって...、結局、何が正義か分かんなくなったから、スタートラインに戻っただけじゃないの?。

先生: う〜ん、...なるほど...。ただ、社会全体の利益が増大して全体の幸福度が増すなら、それを生み出した人が豊かになるのは認めたり、機会の均等とは言っても、その機会そのものを平等にするだけではなく、社会的弱者には優遇措置を整える格差是正を提唱したり、現代社会を見据えていることは確かだ。

モンモン: それって、トリクルダウンとか、アメリカのアファーマティブ・アクションとか言われてるのでしょ、そこから来てるのかァ。最近、評判が良くないって聞くけど...。でも、何とか自由と平等を両立させようとはしてるんだね。でもそれって、ムリ、なんじゃないの、結局?。

先生: ...うっウン、でも、個人の自由の実現を究極まで考えた正義論なんだ。...一方、個人の〜、ではなく、共同体の、コミュニティの価値に目を向けることで、正義を実現させようって流れがある、マイケル・サンデルが有名だ。

モンモン:あ〜、あれ?、これからの「正義」の話をしよう、って、NHKで有名になったよね、日本でも。でも、「個人」の反対は「集団」でしょ、何?、「共同体」って...。
 
先生: ...ただの集団ではない、伝統的に形作られてきた纏まりのある集団のことなんだ...。
 
モンモン: そりゃそうでしょ、でも、そういうのを「集団主義」って言ってきたんでしょ?。おまけに「伝統」って何?。

先生: う〜ん、もちろん全体主義ではなく、自由と平等を最大限に尊重しながらも、コミュニティの価値にもっと目を向けるべきだと...。「コミュニタリアニズム」と言っとる。
 
モンモン: 何それ、舌、噛みそうだね...、コミュニティとか、カタカナ使いはじめると怪しいよねェー...。
 
先生: 個人のアイデンティティーはコミュニティの伝統に根ざしていて、道徳や正義の感覚もそこに根源がある、だから、コミュニティ共通の「共通善」を追求するべきだと...。そして、そのために「美徳の促進」が不可欠だと...。アリストテレスの「目的論的自然観」に影響を受け、人間の活動にも目的があり、それが「最高善」だと...。
 
モンモン: えーっ、アリストテレス!、そこまで戻っちゃう?、本当に21世紀って、人類の精神の危機なんだね...結局は!。

「共通善」とは、個人が属する共同体が目的とする、成員に共通となる善のこと。個人は共同体の一員として、その文化や価値観の中で自己実現するのだから、その「共通善」を追求し、美徳を促進することが正義に適い...。


4.「正義の味方」ー幸福の形Ⅳー

どこの誰かは知らないけれど〜...と歌にも歌われた正義の味方、でも現実は、正義の味方も白馬の騎士もやって来ることは、まずない。出来るのはただ、こんな時、正義の味方ならどうするだろうと、熟慮し行動することだけ...。

敬虔なキリスト教徒アリョーシャが、革命のテロリスト(戦士?)になるのは、カントの言う普遍的な「定言命法」に従わなかった、主観的な曇った心の過ちなの?。でも、人って問題意識を持つほど、ミルの言う「不満足なソクラテス」となり、その誤謬に嵌ってしまう。だから、「共同体」なの?、愚かな個人を暖かく包み込むコミュニティなの?。

物を買うより時間を買う方がハッピーとも言う時代、価値とは何かが問われてる。資源(有)から物(有)という価値を作る時代は疾うに去り、知恵(無)から創造(無)という価値を作る時代、それって面白い?、かっこいい?、役立つ?、売れる?、スゴい?、と問われる、自らの価値を求める生き方、正義はどこにある?、新しい「功利主義」の時代。

モンモン: せんせーっ、結局、これからの正義ってどうなるの。
先生: 分からんな、その都度、正義ってなんだって問い続けるしかないのかな。ひとつ言えるのは、人間存在のこのあり方は普遍的で変わらないってことだ。
モンモン: てことは、人が引き起こす問題も確かに普遍的で絶対なくならないってこと?、だから、人が人である限り、ドストエフスキーの問題意識は、古くなることなく続くってこと?、結局は!。

「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を
読破したことのある人と、読破したことのない人だ。」





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