コラム:週刊モンモントーク
[29] そもそも何のために「考える」の?
1.考えずにはいられない! −それが「人間性」−
人が人としての歩みを踏み出すと同時に、人は常に考えてきた、最初は、今日を生き抜くために、やがて、明日を、未来を切り開くために。 考察-それは人が人である証。考えるとは概念化すること、概念化するとは、その瞬間の「真実」を物語として紡ぎだすこと、これがすべての、神話や宗教や伝統や価値観の、そう、文化の正体。
人は周囲を、観察し認識する、そして、考察し判断し行動する。 何をどう観察するかは、価値観が決め、どう認識するかも価値観が...、以下同様。 生きるため、自然の、そして、社会の在り様を探ってきた、が、それはその時々、都合のいい解釈を与えてきただけとも言える。 それを信じ、「真理」と確信する、というか、それが、「認識」の構造。
それが、人は「考える」社会的動物という意味、「考える葦」として群れ、生き抜かねばならない宿命。 より多くの人が信じる物語(これが「普遍的真理」)の下での協力と団結。 考えろ!、すれば、「神の存在証明」だってできる、 自由平等、リベラルな理想郷も実現可能に思える。 カントなら、そんなの無駄だから止めとけって言ったかな?。
思考は無敵、その時点での矛盾のない解釈を提示、その場のすべての人が納得してしまう!、ことがある、というか、人はそんなふうにできている。 いかなる考察も概念が可能にする、が、その概念は考察によって生まれるのだから。
2.スイッチを入れろ! −今が「あの時」−
だから、「考える」って本来、スリリングで面白い、だって、人間性の中にビルトインされているのだから、一種の根源的欲求、人だけが持つちょっとお高級な「欲望」、でも反面、危険。 属する集団の固定観念に、価値観に挑戦することになるから、それ変だよ、変えようよ、と異議を唱えることになるから、「理想」的な何かを求め始めるから。
でも、それを想像し、出来たらいいなって空想せずにはいられない、それが人の「理性」、というか、そんな機能を「理性」と名づけた。だから、理性って感情、考えさせる感情。 そしてそれは本来、若者の特権、出会うものすべてが、新しい意味を、過剰なまでの意味を持って迫ってくる、感情的な反発、いや、本当は「理性」的な反発!?。
その反発を絡め取ろうとする何か、さらに反発する感情(理性?)、抑え切れない怒り?、不満?、何なんだこれは?。 そう、それだ!、そこが考察の端緒、その違和感を手放すな、感情を感情のままにしておくな。 理性は、感情を抑えることは出来ないが、それが収まるのを待つことはできる、だって理性って、感情そのものなのだから。
ふと立ち止まり、過去を振り返る瞬間、そう言えば「あの時」、と考える刹那。 ほろ苦く甘酸っぱいレモン味の思い出?、でも今が、その「あの時」、「考える」時間を持ち、その感情を理性で概念化せよ、意識的にスイッチを入れろ!。
3.やっぱり、結論は決まってる!? −「感受性」って何だ?−
でも、考えれば考えるほど、少なくとも「善」を目指すのなら、独創性って本当はないんじゃないかと。 もちろん、何が「良いこと」なのかって問題はある、でも、基本的人権の尊重と環境保護、それに代わる究極の価値観はありそうにない。なら、その価値観の下で考え行動するのが、人として文化として完成された姿...結論は決まってる!?。
ほら、危険領域に突入、それが機械的決定論、前世紀までの、近代の考え方、「理性」の驕り、「感受性」の欠如、人の本性、人間性への完璧なまでの考察の不足、「〜はずだ、〜べきだ」で押しまくる「理性」の病気、理性は感情であるという病識の無自覚。 考えているようで実は考えていない、とは考えもしない、恐ろしいまでの勘違い。
「考える」1.0-先人の思考の軌跡を辿ること、その過程を想像し、結果を吟味すること、今の自分には新鮮でも、ある意味、陳腐な思想であるかもと意識。 「考える」2.0-さらに、想像し空想し妄想すること、その先は未知の領域、「現実」をどこまで広げられるか、「真理」を創造できるか。(脳科学は、人工知能はそのカラクリを解き明かせるの?。)
大上段に、何かを考えているようで、主張しているようで、その実、流されているだけ、オウムのように繰り返しているだけの人がいる。 いい加減、気づこうよ、それって感受性の問題、
4.それでも理想を語れ! −「主人公」は誰だ?−
だから少なくとも、自分のため、大切な人(々)のため、この21世紀を生き抜くため、何が起きているのかを見抜くため、自分の物語を紡ぐため、魅力あるストーリーを語るため、徹底的に考え、理想を熱く語れ。 あらゆる可能性を考え、世界の意味を探れ、いや、世界を意味づけろ。 そこに、現代社会を生きる力、想像し創造する力が生まれる。
積極性、明るさ、饒舌さ、説得力、語学力、プレゼン力、コミュ力、女子力、すべて、自分があってこそ、自分があるとは、借り物でない、夢物語でない、地に足のついた、自らの物語を語ること。 創造力とは、既存の知識や知恵に、新しい視点や考え方を提示し、イノベーションをもたらす力、それは、問題意識と批判的思考から生まれる。
「Be nice to nerds. 彼らのために働くことになるかも?」って。 情報過多の現在、情報に溺れがち、だから、時代の先頭に立ち、自らの興味から問題を提出する、それがオタク、それがイノベーション、それが、21世紀の社会の本質、新しく創造される仕事や生き方、新しい「功利主義」の時代。 物語の主人公はいつでも最強、面白くないわけがない。
なぜ山に登るのかと聞かれて、
5.エピローグ−世にも奇妙な物語−時間旅行はいかが!?
2118年5月21日、118歳を迎えた日、彼は、「LRL Century Express」にエントリーし、見事当選した。 22世紀初頭に実用化された時間旅行の技術は、究極の宝くじ「Life Reset Lottery」 を生み出していた。 購入資格は、110歳以上で100年前に戻って人生をやり直したい人、往路券のみ、つまり、復路券は付かず帰って来られない。
タイムパラドックスは多元宇宙論によって解消されていた、というか、時間旅行が行われようが行われまいが、この瞬間にも無数の平行宇宙が生まれてることが確認され、それを考慮する必要がなくなっていた。 自分が存在する過去への旅行は、別人格としてでも、その時の自分自身への遡及でも、技術的には可能となっていた。
往復券購入の普通のタイムトラベルは前者だが、「LRL Century Express」当選者は、当然、後者となり、年齢も若返る。100年前の自分に戻った瞬間、無数の平行宇宙の1つが分岐、やり直しの新しい人生が始まる、以前の人生の記憶と知恵を脳裏に刻んだまま。 歴史が繰り返すかどうかは謎だが、2018年5月21日へGo! Good Luck!。
が、事故発生、時空衝撃による記憶喪失。 何か違和感を感じつつも、18歳の日常を繰り返す彼、今が「あの時」、に気づかない、100年後の自分の決意など思いもよらない。 ふと空を見上げた時の心の疼き、その「彼」って、あ・な・た、かも知れない...。♪トゥトゥタトウ−タ−ッ..トゥルルルン..トゥルルルン..トゥルルルウルン..トゥルルウャ−....
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