作文・小論文−入学・編入試験対策、さらに超えてその先へ

コラム:週刊モンモントーク

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[66] 海に帰っていくクジラ

1.海へ
海を見てると、潮騒の音を聞いているとふと、懐かしさに囚われ、この紺碧の海をどこまでも泳いで行けそうな気になる。海の青と空の青が出会うあの水平線の向こうまで行けるんじゃないかという錯覚に囚われる、浜づたいに岬の白い灯台へ続く一本の小道の途中で、ふと疼くように感じるいつもの遠い想い。(ああ、この紺碧の海の中へ...)

昔々のそのまた昔、きっとそれは早春の、ある晴れた日の午後の出来事、「オレ達は行く、オマエ達はどうする?」と最後の決断を迫る、「...残ることにしたよ」「そうか、これで、ここで、お別れだ」「うん...」。群れは二つに分かれ、海へ入っていくのは少数派、一頭、二頭...、やがて、波の音だけを残す。(濃紺の海の中へ、戯れる瞬間、生と死...)

クジラ(の祖先)達は海の向こうへ行きたかったんじゃないかな、何があるか知りたくて、かつて海にいたという集団的無意識の記憶が、背中を押すように蘇ったんじゃないかな。(海面は遥か頭上の微かな光...)

2.陸から
5000万年前、恐竜を絶滅させたあの巨大隕石の落下から1600万年が過ぎ、地上には哺乳類の時代が訪れていた。クジラ(の祖先)達も四肢を持ち、尾を備え、野山を駆け回っていた。その中から、400万年かけて、海を自由に泳ぎ回るもの達が現れ、3000万年前には、深海への潜水能力も獲得。(海底はこの下、何千メートルもの暗黒...)

が、海に帰って何千万年たっても、肺呼吸はエラ呼吸には戻れない。どんなに自由にどんなに深く潜っても、空気を求めて水面を目指す。退化は可能でも、逆進化は不可能なの?。4億年前のデボン紀後期に出現した両生類、その時から3億5000万年の肺呼吸しながらの進化、時の楔。(ああ、この紺碧の海の中へ...)

現在、マッコウクジラは最大3000m級の潜水能力を備え、体調30mを超え得るシロナガスクジラは、かつて存在した史上最大の動物、恐竜ティタノサウルスに匹敵する。(濃紺の海の中へ、蘇る瞬間、生と死...)

3.「白鯨」
1991年オーストラリア・Gold Coast 沖、初めてその姿を見せた全身真っ白のザトウクジラ、ミガルー、海面に躍る姿は、モビィ・ディックこと、あの白鯨、さもありなんと思わせる。ただ彼は、そのモデル、実在したモカ・ディック同様マッコウクジラ、ミガルーはひとまわり小さい、「禍々まがまがしくも神々こうごうしい」には力不足。(感情は遥か以前の微かな原点...)

捕鯨船ピークオッド号の船長エイハブは、自分の左脚を食いちぎったアルビノの白クジラ、モビィ・ディックを追い詰め、死闘の末、船と共に海に消える。でも、クジラってあんなに獰猛?、違うよ、自分を家族を仲間を守ろうとしただけ、図体がデカイから普通に跳ねただけで、破壊力抜群、本当は温和なはず。(記憶はこの先、何千万年もの軌跡...)

だってクジラはクジラウシ目、牛と同じ系列、ちなみにイルカもクジラの一種。賢くてやさしくて絶対いいヤツ、そしてそれは、牛だっておんなじ、絶対いいヤツ。いいヤツほど怒らせれば恐い、人もね。(ああ、この紺碧の海の中へ...)

4.空へ
しかし、『人間の権利とか自由とかは、「はなれ鯨」でなくて何であろうか?(中略)読者諸氏よ、諸君自身は、「はなれ鯨」にして「しとめ鯨」でなくて何でありましょうか?』と一船員にして語り手、イシュメールが問いかける時、権利や自由や平等の本質の深淵が鈍くキラリと光る。(濃紺の海の中へ、奮い立つ瞬間、生と死...)

束縛を束縛と意識できた時、自由への渇望が始まる、そして、新たな行動が始まる。昨日と同じ今日を拒絶した時、新たな冒険が始まる。自らを「はなれ鯨」だと認識した時、イヤだ!、という叫びが上がる。しかし、いくら足掻いても、求めても、ふと感じる疑問、すでに「しとめ鯨」なんじゃないのか、って。(帰ろう、今、海へ...)

自由意志はあるのか、って問いに答えはあるのか、って問うのは、自由意志から来るのか、ってこれ本当に自由に思考してるのか、ってどこまでも続く。海が空がどこまでも続くように。(未来の記憶、海へ...)

5.エピローグとしてのモノローグ
何なんだろうクジラって、水族館にはいない、シャチやイルカはいるけどね。でも、チョット違う、彼らも、もちろん魅力的、でも違う、大きさの違いだけだって言われても、トマトは果物でスイカは野菜だって言われてるみたいで...。

何なんだろうそれはきっとクジラが、海に帰って行ったから、海に帰って行けたから、だから、懐かしさを感じて、羨ましさを感じて、畏れを感じて、その自由意志の可能性に、さらなる未来の可能性を重ねて信じて...。

でも、その「白鯨」(初版1851年)のモビィ・ディックとの死闘が、日本の小笠原沖、"Japan grounds"ってどうよ。2年後の1853年にはペリーが、その船長エイハブの辿った航路を日本へ来るが、それはまた別のお話...。

-♪ある朝ある町で 鯨が空を飛んでた-
-海よりも広い大空 夢を求めて飛び立った-





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