コラム:週刊モンモントーク
[57] 「神は妄想である」−そ、そうですが、それが何か?
1.妄想-レベルⅠ
「神々の指紋」って本があって
ノンフィクションを装ってるけど、どう見てもフィクションで、著者も「神々(Gods)の-」ってタイトルを、-sつきの複数形のGodsにした時点で、「シャレだからね」って言ってるようなもの、なぜって、一神教のGodではないのだから、本気度は知れてる、まあ、もともと、"神々"の物語とも何の関係もないのだけど...。
妄想と言えば妄想、でも、エンターテイメントなんだから非難しても始まらない現実。全世界でウン百万部を売り上げた、そう、人の脳が求め続けて来た、一種の創造、求めてるんだ人は、そんな刺激を...。
2.妄想-レベルⅡ
「神は妄想である」(キリッ!)って言われても、「はあ、それで?」っとか、「そりゃそうでしょ!」っとか、「知ってた、だから?」っとしか答えようがない、特に、日本文化で育った日本人には...。何なんだろ、あそこまでドヤ顔で、神を、というか、一神教の人格神なんだけど、あそこまで否定しなきゃいけないって、何かあったのかな?、個人的に。
でも、ポイントはそこじゃない、神は存在し"ない"って証明は、議論として意味がない、本来は、神は存在"する"って主張する側が、証拠を提示し実証、議論の俎上に載せるべき、だがしない。ポイントは、なぜ、人のプラスの面もマイナスの面も、愛情も憎悪も、宗教的情熱があそこまで増幅できるのかってこと。
妄想といえば妄想、でも、確信を持って崇高に誠実に信じてる人々がいる現実。全世界に一神教の民はウン十億人、そう、人の脳が求め続けて来た、一種の創造、求めてるんだ人は、そんな刺激を...。
3.妄想-レベルⅢ
「神仏習合」ってスゴいよね、「神とは祟るもの、だから我々は祟られぬように祀るのです」、 そして、仏の慈悲にすがるのです、って、参りましたって感じの完璧な論理展開。この"神"って、八百万の神、つまり、"神々"なんだろうけど、知ってか知らずか、あの旧約聖書の神、畏怖すべき人格神、に近い?、日本でも一神教が生まれてた可能性がある?。
ない、かな?、だって太子は仏教に傾倒して仏教を導入しようとそう言ったのだから。でも、千手観音とか十一面観音とかハンパないね、手が千本とか顔が11面とか、漏らさずあまねく衆生を救済するために付いてるって、有り難いんだか何だか...。そしてそれが、如来ではなく修行中の菩薩ってところがまた、泣ける...。
妄想と言えば妄想、でも、嘘だとかフザケるなとか誰も言い立てない現実。三十三間堂の千手観音、ウン十万本の腕を見よ、そう、人の脳が求め続けて来た、一種の創造、求めてるんだ人は、そんな刺激を...。
4.妄想-レベルⅣ
「神の前の平等」が妄想なら、「人は生まれながらにして自由かつ平等」なんて、理性による完璧な妄想じゃないか?。今世紀中にも百億に迫ろうとする世界人口、ちょっと考えればあり得ないって分かりそう、共産主義国家の
妄想と言えば妄想、でも、今はそれ以外の思想的真理は無いと確信される現実。文明、ウン千年の試行錯誤の後に辿り着いた、そう、人の脳が求め続けて来た、一種の創造、求めてるんだ人は、そんな刺激を...。
5.妄想-レベルⅤ
「神々のおはす国」って今や、日本だけ?。ギリシャやローマ、北欧にも新大陸にも、もう神々の居場所はないかのよう、ローマ帝国がキリスト教を迫害し容認し国教にして以来、イスラムが広まって以来、余りにも人間的な神々や妖精や精霊は、秋の日の早朝の虫達のようにその存在を隠し、多神教の多様性は失われたかのよう...。
一礼をして鳥居をくぐり手と口を清め、神前でお賽銭、鈴を鳴らして二礼二拍手、祈りを込めて、最後に一礼、ご神体は背後の大岩だったり鏡だったり、帰りの境内で巫女さんからおみくじを引きお守りを受ける。おみくじが外れたからって、お守りに守って貰えなかったからって、誰も文句なんて言わない、その行為そのものに意味がある。
妄想と言えば妄想、でも、
6.エピローグとしてのモノローグ
「神降臨」ってあるけど、そもそも妄想って何なんだろ?、考えれば考えるほど不思議な人の能力のひとつ、言えることは、妄想であろうが何であろうが、皆と合わせるって、楽で楽しいってこと、安心ってこと。これ、個人主義とか集団主義とか関係ない、だって、
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