作文・小論文−入学・編入試験対策、さらに超えてその先へ

コラム:週刊モンモントーク

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[39] 「確信」の構造

1.誰かいるのか!?、そこに!?
旧暦7月8日、上限の月が西の山の端に隠れ、川に沿った山道は緩やかな上りで北の森の奥へと消えて行く。あれだけ騒々しかったヒグラシの鳴き声もピタリと止んで、川の静かなせせらぎを背景に、時折フクロウの低い声が闇の中から聞こえる。右手の川の対岸では、頭を垂れた稲が生ぬるい夜風にそよいでいるはずだが、そこは漆黒の闇だ。

私は一人で、夜道を急いでいた。落ち葉を踏みしめる私一人の足音が、時折場違いな大きさで響く。月の出ているうちにこの峠を抜け、尾根の西向こうへ越えようと急いでいたが、山がちな土地での月の入りは、日没同様、思いの外、早く速い。ほんのりと白く浮かんでいた山道も、気がつけば闇の中に溶け込んでいく。

ふと私は、道の脇に、闇よりも黒い何かを見つける...、女の黒髪だ...、なぜ、こんなところに...、私は足を早める。その時、カサカサ、カサカサ...、後ろで、落ち葉をかするような音が、微かにしたような気がした、その刹那...。

2.誰だ!?、そこにいるのは!?
スーッと、うなじを駆け抜ける一筋の夜風、思わず駆け足になる。鼓動は高まり、昼間の焦げ付くような暑さを内に秘めた夜の底で、背筋に冷たい汗が流れる。気のせいなのか、思わず振り返る、が、闇だ、何も見えない。とにかく急ごう、この先の峠の向こうへ。尾根を西へ回りこめばまだ、月が出ているはず。その時、再び、カサカサ、カサカサ...。

何だ、あの音は、気のせいなんかではない、確かに聞こえる、現実だ。背後、100から200メートルか、いや、もっと近いのか。何だ?、人か?、何かを引きずるような音?、いや、引きずるというより、絹が落ち葉を絡めて舞い上げているような音だ。もう一度振り返る、何もいない、いや、見えないのだ。急げ、走れ、もう、振り返る余裕はない...。

行く手の頭上のうっそうとした木々の葉の重なりがふと途切れ、星のまたたきが目に入る。峠が近いのだ、道は左に大きく曲がっているようだ。その時、すぐ背後で、カサカサ、カサカサ...再び、カサカサ、カサカサ...、カサカサ...。

3.「確信」の構造
人が何かを確信する時、何かを信じる時、何が起こっているの?、脳の中で。肉体的なセンサーである五感が精神に影響を与え、何かを確信し、精神の動揺が肉体に影響を与える。心身二元論とは言うけれど、精神と肉体は不可分とも思える。が、心身一元論だと、自由意志はなくなり、すべては予め決まっているという決定論に行き着くとされる。

人以外の他の動物も「確信」出来るの?、何かを「信じる」ことが出来るの?。確かに、少なくとも哺乳類は、外部刺激に対して、喜怒の感情で反応している、し、哀楽もあるように見えることもある。が、彼らも幽霊は怖い?、「霊」の存在を確信できる?、信じないまでも、死を意識し、死後を思い、霊という想念の共有が出来る?、...ムリ。

おそらく「確信」は、外部情報を概念化し、総合し統合し、新たな概念を組み立てた結果生ずるもの、未来を概念化出来る人に特有のもの。現在のみを生きる存在には不可能な、高度な情報処理。たぶん、AIにも確信は、...ムリ。

4.「脳が震える」
だから「確信」は、新たな創造とも言える、「ない」ところに「ある」をもたらすもの。一人の確信が二人の確信に、価値観を同じくする者達の誕生、文化の誕生。そして、その、かつての創造が足枷となり、人として生きる限り、その「確信」の構造に囚われる。そして、その束縛からの自由を求めて、新たな夢を追う変わり者が現れる。

確信の構造、それは、想像・空想・妄想の果てにある、概念化による脳内刺激を経た、こう「ある」はずだ、べきだ、という消せない思い。概念化が、世界の恣意的な分節による環世界の成立に基盤を置くなら、創造へ至る過程もまた、あいまいでファジーで、自由を生み出すもの、いや、その過程を自由と概念化した、人だけが持つ、自由意志の確信。

「確信」し、創造の極みに至った時、人は、文字通り「脳が震えるぅぅ」感覚を味わうのだろう。至福の時、創り上げた概念の現前化、その時の脳にとってのその手段は、幻想でも、気狂いでも、魔術でも、科学でも、すべては同じこと。

5. 霊的存在
だから「心身一元論」が、決定論に行き着くというのはあまりに単純な見方、人は生まれやがて死ぬ、これだけが唯一の決定事項、それを決定論と呼んでも意味はない、人は生物であると言っているだけ。その生と死の間で、人だけが自由意志を持ち、考え、想像し空想し妄想し、確信を持って創造する。本来それを「霊的存在」と呼ぶのだろう。

心と身体は一体、誰が見ても明らか、身体が滅べば心も消える、死後の世界は、この宇宙のどこにも存在しないのだろう。それは、人が想像し創造した最高位の崇高な概念、人の心の中にのみ存在する、そう、生体の反応が消えれば、人の心も露と消え去り、永遠の無意識の中にかつての微かな痕跡を留めるだけ。

「霊的存在」とは「実存」と同義、現実存在が現実から消える時、その快楽も苦悩も煩悩も、心とともにすべて消える、そんな「確信」を得た、真夏の夜の......?...カサカサ、カサカサ...、カサカサ...ダレダ!?、オマエハ!?...カ...サ...。

♪Is there anybody out there?





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