コラム:週刊モンモントーク
[68]ルネサンス−ギリシャ・ローマへの憧れ
1.「中世」−"中二病的"世界への憧れ
395年ローマ帝国が東西に分裂した時、あるいは476年西ローマ帝国が滅亡した時、確かにひとつの時代の終わりを誰もが感じただろう。しかしその時誰が思ったか、その後1000年もの間、古代の知恵が忘れ去られるとは...。
神聖でもローマでも帝国でもないと揶揄される
教皇権の絶頂、「12世紀ルネサンス」が花開く、
2.アレクサンドリアから憧れのバグダッドへ
地中海の波の音が聞こえる、港にはローマからのガレー船が入港、ファロス島の大灯台には度肝を抜かれてるだろう。ここはエジプト、ナイル川の河口、アレクサンドリアの
アレクサンドロス大王が開きプトレマイオス1世が発展させたこの都市は、クレオパトラの時代を経て、
...異教の学問は許せないと。そして7世紀にはイスラム教徒がやって来る、消失を免れたものは、バグダッドに運ばれアラビア語に翻訳される、
3.コンスタンティノープルから憧れのフィレンツェへ
そう、ヨーロッパ人がアリストテレスをプトレマイオスを再び知ったのは、
ヒューマニズムそれは、human-イズム、キリスト教以前の生き生きとした写実的な、ありのままの人間の自分の表現、だが人は、育まれた文化から逃れるのは至難の業、
4.ローマから憧れの近代世界へ
英仏百年戦争の終結も1453年、ジャンヌ・ダルクがフランスを救い魔女裁判で火刑となる。封建社会から絶対王政への移行、ポルトガル、スペインはいち早く大航海時代を迎え、東の専制国家オスマン帝国に対抗する。
「贖宥状」への批判はもとより、ブラマンテから設計を引き継いだラファエロの、そして、ミケランジュロの手で、ローマ建築を理想とするルネサンス様式、サン・ピエトロ大聖堂の建築は様々な困難を乗り越え進む、その側にはミケランジュロの「天地創造」を始めとする天井画、システィーナ礼拝堂。ローマ教皇がルネサンスをパトロンする。
そのラファエロが「アテナイの学堂」を描き上げた時、そこにあったのは学問的自由への憧憬、自由に語らう古代ギリシャ世界の哲学者達、中央にはプラトンとアリストテレス、左右にピタゴラスとユークリッド、尊敬と畏敬と羨望と、突き上がる慟哭、忘れていた憧れ、そして、ルネサンスを育んだその「近世」が「近代」を生む。
5.「近代」−"小児病的"世界への憧れ
歴史の必然か偶然か、史上最強の帝国モンゴルは既に滅んで久しく、15世紀、大明の鄭和の大航海に領土的野心はなく、16世紀に最強を誇ったオスマン帝国は17世紀には陰りを見せ、18世紀に最大版図を築く大清帝国も19世紀には衰退し始める。何よりもそれらの帝国は、前「近代」的国家、いや、国家という観念さえない。
時代は、絶対王政から近代国家へ、国民という概念が、主権国家という概念が生まれる。解き放たれた「自由意志」の自由奔放さを見よ。余りにも無邪気な確信、「近代世界システム」が16世紀のヨーロッパで産声を上げた。やはりそれは、ローマへの、ローマ帝国への憧れ、ヨーロッパ文明の底流にはそれが、ずっとずっと流れて...いる。
エーゲ海からアドリア海へ、地中海の風を受けて三段櫂船が五段櫂船が喫水線を白く引いて快走する。続く2000年の歴史を知ってか知らずか、波は、尾根が谷となり崩れては盛り上がり、遠く陽光の彼方へ去って...いく。
6.エピローグとしてのモノローグ
思わず、中世を「中二病」、近代を「小児病」って言っちゃったけど、この直観って合ってる?。思春期の少年少女には力の限度と限界を知る分別がある、が、子供は、圧倒的な力の差を誇示し、感情に流され極端に走る?。
♪
-図書館とは、古の聖人たちの遺産や美徳に満ちた神殿のごときものである。
そしてそこには、曲学阿世とは無縁のものがすべて収められ、静かに佇んでいる。-
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