コラム:週刊モンモントーク
[61] 「ひと夏の経験」
1.「ひと夏の経験」
♪あ〜なた〜がタタタラタ、と下がってきて、♪わたし、タラタ、タラタラタラター、と途中まで上がる、そして、前半2小節の同じ旋律が続き、♪ウワサされてもイイー、と地を這うようにAメロが終わる。その構成は、
そう、一見だけ、短調と長調という曲調の違いにすでに現れてるけど、その「経験」の中身がまったく違う、と書いて、これ「ひと夏の経験」じゃなくて「青い果実」だって、原曲のキーを調べてて分かった、GmとC...。でも今回のトークのプロットが崩れるので...、とにかく世俗的な「経験」と、宗教的な「体験」の違いってのがテーマで...ま、いいかな...。
で、どこか高みから何かが人に降臨するのは同じ、でも片や、上がり切れず失速するのに対し、片や、♪ドーシラソー、と降りてきて、当然のように、♪ラシーシドー、と元の高みに昇天する。それは、生きる不安 vs 委ねる安らぎ。
2.
「経験」と「体験」ってどう違う?、ほどんど同じ意味に使われ、これぼど重なる同義語も珍しい、でも、「宗教体験」「神秘体験」「臨死体験」に「経験」は使わない、そう言えば、「体験入学」や「体験実習」も。てことは、「経験」は自らスルことで、「体験」はサセラレルこと?、「体験」って与えられること?、誰に?、神?、運命?、大いなる力?...それとも...。
いずれにしても、ただ経験しただけのナマの事象は、それだけでは意味を持たない現実、だから、つい♪馬鹿にしないでよ、ってイライラしたり八つ当たりしたり、人間万事塞翁が馬、って故事成語もそれ、でも、現実を認識し考察し概念化し意味を見つけ物語を与えた時、人は、その経験がかけがえのない自分の一部になる。
「プレイバックpart2」は
3.
だから、その理不尽な経験の意味を求めて誰もが旅に出る。まだ国鉄だった頃、お世辞にもキレイとは言えない小豆色の鈍行列車に乗って、そして今、すべてに於いて世界一とも言える夢の超特急新幹線に乗って、車窓の風景自体は変わったが、その車窓体験は変わらない、そう、それも「体験」、「経験」とは呼ばない。
つまり、「旅」とは、憧れと言うか、心への回帰と言うか、人類が共通に持ってる何ものかのうちのひとつの象徴、共通の原体験、ほら、ここにも「体験」、確かにDNAの中に刻まれた何か。きっと旅の放浪の中で悩み考え決断し、失敗し成功し、共通の体験を積み重ねてきたのだろう。おそらく未だ、旅の途中...
♪ああ、日本のどこかに 私を待ってる 人がいる、って、あれから40年たった今は、♪世界のどこかに、ってことになるのかな、そう、必ず誰かが待っている、でも、会えるとは限らない、会えてもその人だと分かるとは限らない...。
4.
でも、人類共通の体験って何だ?、人であれば必ず持ってる普遍的な何かなの?、「旅」の持つ原風景が、「切なさ・やるせなさ」なら、その普遍性の上に、人類共通の文化を構築できるの?、それとも、人の肌の色のように、些細な違いが、それぞれの価値観の大きな違いを生み、近づいても交わることのない双曲線を描くの?。
「しなやか」って不思議な響きのする言葉、思いっ切り曲がるけど折れなくて、曲げれば曲げるほど潜在的弾性力を貯め込んで、抵抗や反発は、文字通り、しなやかに受け流し、じっと時の満ちるのを待つ。「しなやかな生き方」なんてたまに聞くけど、それって、人類共通の体験の上に、自分の経験を重ね、全体の構造が意味を持つってこと?。
♪しな〜やかに、っていきなりサビから入るこの曲は、悲しいはずの失恋歌、♪レコードが廻るだけ あなたはもういない、って、でも、心は心なしか安らか、ひとり、待ってるだけなのに。個人的経験の普遍的体験への昇華...?。
5.
そして、人はいつか別れの時を迎える。四苦八苦とはよく言ったもの、まあ、ブッダらしいネガティブな生の捉え方だけどね。生を肯定的に捉えこれ以上ないと自身が思う人生を送ったとしても、別れはやって来る、自分が去るか、愛する人が去るか。だから古来権力者は、自分の経験だけを信じ不老不死を求め、そのために寿命を縮めた。
だから、悟れって?、神にすがれって?、何かが違う、悟りを開いて成仏すれば生まれ変わり苦しむことはもうないって?、苦しくとも神を信じその道に生きれば最後の審判で救われるって?。う〜ん、何かが違うでしょ、それ、「体験」と「経験」の混同、現代を生きる人は、常に自らを省みて吟味すべし、それって、体験?、それとも、経験?...。
でも、さようならの向こう側には何がある?、皆、何かがあると確信して去っていく?、人それぞれ本当に各個人が、自分の経験だけでそれを探し求め、形にしなきゃならないのなら、何とも厄介で寂しく孤独な、新しい疎外の時代...。
6.
♪ア・ナ・タにイワタシのオこのイチバンン、タンタタンター、がこっちでしたね、こちらは地を這うように始まって、Aメロ中2回、上昇を失速させ、Cメロで加速度的に上昇、サビで爆発、昇天という、神をも恐れぬ構成、デビュー2年目、「青い果実」から9か月、山口百恵という逸材を生かし切った昭和歌謡の精神の、時代の雰囲気の完璧な顕現化。
そしてやはり、「ひと夏の"体験"」ではないのは、「体験」と「経験」の違い、「体験」は求め積むもの、「経験」は自ら重ねるもの、「体験」は既知の領域、「経験」は未知の領域。今や、その境界を見失った現代人は、だから、常に何にでも意味を求め、意味のないことを嘆く、でも、「体験」の意味は綿々と積み重ねられてきてるハズ。
「夏」は、人だけじゃない、生きとし生けるものが生を謳歌し喜びを体験する、が、「夏」を経験出来るのは、人だけ、だから、慎重に「経験」を探り選び重ね、その貴重な「経験」の意味を考え抜く、人だから、これからもずっと...。
6.5(番外).
今回、「ひと夏の経験」を改めて聞いてみて、イントロに続くAパートにかけての、ドラムのハイハットかなんかの、♪シャカシャカシャカシャカ、ってリズム音が、
74年と80年の作品、6年の差は大きい?、歌謡曲かどうかってのもあるのかな、まあ、山口もとうに"阿木・宇崎"の楽曲にシフトしてて、80年10月5日には武道館でのファイナルコンサートなんだけど...。「さらば〜」の、エフェクターを効かせた抜けのいいクリアなギターサウンドは、さらなる飛翔を感じさせ、後半、半音上のFmへの転調で加速...。
そう言えば誰か以前、その♪ツァ〜ツァーツァーツァ、ってクリアサウンドが
7.エピローグとしてのモノローグ
ちなみに、
でも...その壮大なオデッセイの行き着く先に、その崇高な理念を追い求めた果てに、その壮絶な「経験」を乗り越えた末に、人々が求めるものは何、平安?、心の安らぎ?。ただひとつだけ、確信を求めて彷徨うもの、結局、それは...
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