作文・小論文−入学・編入試験対策、さらに超えてその先へ

コラム:週刊モンモントーク

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[53]ゼロ年代に生まれたという意味

1.第一の誕生
2000年から09年が今回のゼロ年代、新世紀に生まれた僕達、まあ、2000年は20世紀の最後の年で、01年からが21世紀なんだけどね。でも、千年紀を考えてもスゴいこと、3千年紀(21世紀から30世紀)の最初の0年代の生まれ、続々と成人を迎えてるお姉様お兄様方、ミレニアル世代の後に続く僕、何か、スゴくない!?。

千年前は11世紀、日本は平安時代の真ん中、「この世をば~」の藤原道長、女流作家の清少納言と紫式部、中国は「澶淵の盟」宋の3代皇帝真宗、イスラムの「光学の父」イブン・ハイサム、「カノッサの屈辱」のハインリヒ4世や「第1回十字軍」のローマ教皇ウルバヌス2世はちょっとずれる?、千年後は31世紀、誰が何の功(罪?)績で名を残す?。

ただ、ゼロ戦のゼロは皇紀2600年(西暦1940年)の0、日本はとっくに3千年紀に入ってる?、だから、本当は意味なんてない、意味のない所に意味を観る、それがこの世に生を受ける意味、ひとつの創造...、僕の第一の誕生。

2.「第二の誕生」
いつの頃から僕は、僕のことを僕と呼ぶようになっていたのだろう。そして、いつの頃から僕は、そんな僕の物語を綴りたいと思い始めていたのだろう。今となっては記憶の淀みの彼方に沈んでしまっている。確かなこと、かつては「ワタシ」と呼んでいた自分を今は、「ボク」と呼んでいる。いつの間にか僕は、僕のことを僕と呼んでいたんだ。

「疾風怒濤の時代」、沸き起こる激情、不安と動揺、「そんなつもりで言ったんじゃないのに」って伝わらないもどかしさ、僅かな希望の光は風前の灯火、「誰も分かってくれない」とイラつきムカつく悲しみの心。おそらくそれは、啓蒙主義の時代からロマン主義の時代への移行の歴史的追体験、余りにも重たい追体験、理性と感情の軋轢。

そして、かつて「ワタシ」であった「ボク」は「永遠の少年」となり、時の狭間を漂流する、意味を求めて、僕が僕である証を、本当の自分を求めて、そんなものどこにもないのに、自分で創造するしかないのに...、僕の第二の誕生。

3.第三の誕生
おそらく僕達は130歳まで生きる最初の世代、医療技術の進歩は人工知能(AI)とモノのインターネット(IoT)により加速、AIが人智を越えるシンギュラリティ(技術的特異点)はただの通過点に過ぎず、生命科学のみならずすべてのパラダイムは変革を迫られ、文字通りの津波、「第三の波」に洗われる、その後の浜辺に残されるものは何?。

20歳で社会の文化や価値観に矛盾や疑問を抱いていないなら、僕には心がない。40歳でその文化や価値観の真の価値に気づいていないなら、には脳がない。60歳でその文化や価値観の相対性に目を向けていないなら、には魂がない。80歳でその文化や価値観に潜む普遍性に思いを馳せていないなら、には...。

そして僕は、さらにあと50年の人生を歩む。21世紀は17世紀2.0、精神の危機、それぞれがそれぞれの物語を紡ぎ始める。どの物語に正当性があるのか、正当性は誰が決めるのか、意味の創造...、僕の第三の誕生。

-♪Just remember in the winter far beneath the bitter snows lies...
♪the seed that with the sun's love in the spring becomes the rose -





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