コラム:週刊モンモントーク
[24] 文化の違いと価値観の違い、そして、七色の虹
1.「文化の違い」と「価値観の違い」の境界Ⅰ
文化が価値観の違いだとすれば、それはもう、人が二人いれば文化が違うことになる、価値観のまったく同じ人はいないのだから。でもそれを普通は、「文化の違い」って言わない。ではどこから、そう呼んでるんだ?。(コラム11)
先天的か後天的かって?、もちろん後天的なもの、文化の違いって。 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という指摘は、「女性」だけじゃない、その文化を構成する要素、その構造すべてに当てはまる。 だから、文化のあり方に異議を唱えることは、構造を変えようとすること、だから、独力ではとても無理。 じゃ、価値観の違いは?。
かつて、価値観の違いと文化の違いは同義語だった、というかそういう概念はなかった。 あったのは「よそ者」とか「バルバロイ」とか「異教徒」とか、自分達とそれ以外という概念が、小さな集団から大きな集団に向かって、段階的にそれぞれの文化圏を形成し、各段階の集団を安定させていた。家のしきたり、村の掟、宗教的戒律、...。
2.「文化の違い」と「価値観の違い」の境界Ⅱ
「都市の空気は自由にする」と言われた中世ヨーロッパでもギルド内の統制は厳しく、江戸時代の日本でも、各都市はある程度の自治を許されていたが、自由という概念は浮かびもしなかった。 「貴殿と拙者は価値観が違いまする」と言っていたとは思えない。 価値観の違いは、個人の自由という考え方とともに、産声を上げた、17世紀の西欧で。
属する集団の文化がしてきた価値判断を個人もする、いや、しなきゃいけない「個人主義」の誕生。 大まかな善悪は文化に縛られるが、細かな道徳や倫理、価値に関する判断は、各個人の「価値観」によって違う、コトニナッテル、「君はどう思うんだい?」と。 個人から集団の、そして遂には、民族や国家の「価値観」へと切れ目なく続く。
価値観の違いって結局、現実把握の違い。一般的な現実把握が「一般論」。 目の前の現実世界にどう意味を持たせるかが違う。「文化の違い」って一般論が違うってこと、そして、独自の現実把握が「価値観の違い」。(コラム10)
3.「七色の虹」の境界
虹は七色だと言われる、赤橙黄緑青藍紫、ただ、色の数は文化!! によって違うらしいが。 現実の虹や写真の虹、たしかに美しい、でも、なんかイライラする、なぜ?、7色に見えないから。 なんかボーッとぼやけてて、大自然のくっきり感、透明感がない。 なぜ?、赤から紫まで、色の変化が切れ目なく続く連続スペクトル、変化の幅も違うから。
いつの間にか次の色に変わってる、微妙な違いだったはずなのに、結局、赤と紫では大違い。人の価値観もそう、いつの間にか微妙にずれていき、やがて大きく異なっていく。 だから、虹を多様性のシンボルにするのなら、それぞれの色の間に線を入れてはダメ、グラデーションにする。それでこそ、多様性と調和、共生の象徴。
虹が、多様性と調和、共生の象徴なら、どこに位置したい?、情熱の赤?、海と空の青?、時代の色グリーン?、高貴な紫?、暖かなオレンジ?、AIの先駆けディープブルー?、「いちめんのなのはな」の黄色もいいね?。
4.境界の彼方、虹の彼方、空の彼方
気づいてる?、色と色の間だけじゃない、虹は、赤の外側、紫の外側にも境界がないってことに。いつの間にか透明な空間に消えていく。 虹は、いつの間にか赤が現れ、徐々に橙、黄...と、次第に紫まで変わり、そして、いつの間にか再び消えていく、透明な空間に。 どこにも境界はない、色と色の間にも、赤と紫のその先にも。
虹が、多様性と調和、共生の象徴なら、どこに位置したい?、できれば紫の端の、ディープパープルのその先の、今にも空間に溶けこんでいくその瞬間で、淡く渋く輝きたい。 さらに先は境界の彼方、未知の領域。
ただ、虹そのものがいつの間にか消えていく、どこに位置していようとも、どんな価値観を持っていようとも、赤橙黄緑青藍紫、すべてがやがては、虹の彼方に消えていく、消え方もグラデーション、気づいた時には消えている。 そして、誰もがそこに虹が出ていたことなんて、やがて忘れてしまう、忘れ方もグラデーション、人それぞれ、グラデー...。
5.エピローグとしてのモノローグ
なぜ、紫の端?、空に溶け込むその瞬間なら、赤の端もある。 それに虹は、赤が上、紫は下、どうせなら空の彼方に消えられそうな上?。 実は赤の外は赤外線、紫の外は紫外線、色として知覚できないだけ、そう、気づかないものは概念化できない(かった)、価値観の相違。
潜在意識の、消えてしまっても何か痕跡を残したいという欲求?、すぐに消えてしまう暖かさより、徐々に消えていく日焼けの跡、あの夏の名残り、覚えておいてほしいと。 Deep Purple という響きに懐かしさもあるのかな?。
やっぱり、せっかく生まれてきたのなら、誰かに存在に気づいてほしい、何かにはなりたい。 "a woman" を "〜" に変え、以下のフレーズを肯定的に捉えたい。 "〜" には、その価値観を世界観を具現化し、ご自由に。
One is not born, but rather becomes, 〜 .
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