コラム:週刊モンモントーク
[18] 「小論文とは何か」という小論文を書いてみる
1.まずは:ブレスト
「一般論」: 選抜試験→小論文試験の重要性→ユニークで独創的な主張
「主張」: 考え悩んだ過程が大切→問題意識の有無
「経験・見聞」: ○○大賞←震災やいじめ、普通の人経験しない→平凡な日常をこそ題材に
「知識」: 自分の経験←生き生きと書ける←問題意識←批判的考察←知識
「想定反論」: 論文→主張、意見が必要
「切り返し」: 結論は陳腐かも、but そこに至る過程が重要
「決めフレ」: 小論文とは考えの深さの過程
「結論」:現時点での問題意識の表明←その深さが出る
2.そして:小論文
小論文とは何か
近年、大学入試はもちろん、他の選抜試験においても、作文、小論文の重要性が増している。人物評価のため欠かせないものとなり、独創的な主張や考えとは何か、どう盛り込むか途方に暮れる人も多い。しかし、斬新な考えを根拠を伴って短時間で論じられることは稀である。小論文を書くとは、問題意識の有無が問われているのであり、考え悩んだその過程こそが大切なのではないか。
○○新聞社××大賞受賞作等を見ると、災害等、数奇な運命の下、逆境に立ち向かったというのがある。それはそれで素晴らしいのだが、私達普通の人は、普通の日常に問題点を見出し、より良い生のために現実をどう変革できるかの可能性を探るべきだ。普通の人が普通に生活でき、そこに生き甲斐を感じる社会をどう作り上げるかを考える姿勢が求められる。
その時に問われるのが、時代を見つめる目、問題意識の有無である。それは、自己や社会を批判的に考察できるかであり、様々な問題をどれだけ自分のこととして捉えられるかだ。自分の経験が最も生き生きと書けるのは、それが「自分のこと」であることが理由だ。自己を中心としてどれだけ、考察の裾野を広げられるのか、それに伴う知識や概念を吸収できるのかである。
たしかに、小論文も論文である以上、ユニークな意見や主張、独創的な考えや何か新しい視点を求められはするだろう。もちろん、それが書けるならそれに越したことはない。しかし、現実的な結論は案外陳腐なものになりがちだ。それを恐れる必要はない。そこに至る思考の過程が重要なのだから。
小論文とは考えの深さの過程である。現時点での問題意識を表明することは、必然的に、その人の人間性の表出になる。何に対してどのような興味を持ち、何を感じどう捉え、どこまで考えているのか。そして、そのための知識は偏っていないか。小論文を書くことで見えてくるものは、社会の問題点だけではなく、自分自身とは何かでもある。
(文字数795)
3.おまけ:「小論文って何?」という“エッセイ”を書いてみる
小論文って何?
「○○について小論文を書きなさい」って、やっぱり身構えるよね、えーっ!って。書くことない、興味ない、って。でもね、そこでスイッチを入れるんだ、思考のスイッチを、最初はとにかく意識的に無理にでも。考えるって、言葉で概念を形作っていくこと。自分の身に思いっ切り引きつけて考えるんだ。「自分のこと」なら、人は誰だって何だって語れる。
経験が知識が乏しく少くとも、語れる何かが必ずある、みんな、この社会の中で生きているのだから、必ず関わりがあるはずだから。そうやって問題意識が育っていく、知識が吸収されていく。この現代社会での、その経験の一つひとつに意味があることに気づいていく。そして、その意味を、ストーリー仕立てで熱く語れ。
読書感想文を書けってんじゃない。あれ、酷いよね、どれだけ読書嫌い、作文嫌いを増やしてきたか。読感文を今だに課題に出してる先生、あなた、先生失格だ。ドッカン文は、課題文型小論文の超弩級版、「課題文」は、一連の文章でなく一冊の本、おまけに、論点を絞る「問題文」もない。徒手空拳とはこのこと。小中学生には、土台無理、ムリ。
小論文も、知らないから書けない?、違うよ、人って、考える過程で必要な知識を蓄えていく、知りたいと求め始める、本能的な欲求。考えを深めると、それを支える知識や概念も深まる。言葉や概念が思考を鮮明にし、考察がさらなる概念を求める。そこから創造性が生まれる。小論文って考えるってこと、独創的でかけがえのない自己の再発見。
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