コラム:週刊モンモントーク
[37] ラブレターの書き方
1.
Love is blind−恋は盲目、とは言うけど、うん、何かこっ恥ずかしいね。何なんだろう、この気恥ずかしさは...、でも、書かずにはいられない、いられなかった、それが、Love Letter−恋文。その突き上げてくる感情を、見つめ見据え、衝動を抑え、理性的に判断したはずの、行動。悩みに悩んだ末の、最終判断、慎重に実行。ほら、理性は感情だろ!?。
しかし、なぜあの人なんだ?、たまたま、偶然出会っただけじゃないか、時間と空間のその一点で。それを運命の出会いというの?、ここでも自由意志を信じるのか。でも、この感情は本物、これを、錯覚だ、恋愛は一種の精神の病だと知ったように言われても、そう?、と懐疑の視線を向けるしかない、だって、この気持ちはウソじゃない...!!??。
想像か空想か妄想か、その世界は実現するか、形になるか、他者(相手!)の共感を得られるか、自分の物語とその人の物語に接点は生まれるか、そして、その接点から、二人共通の物語が新たに始まる可能性はありや、なしや。
2.「ヴァイオラに渡してくれ」(シェークスピア)
それは、仮想現実(Virtual Reality)を拡張現実(Augmented Reality)に、そして、真現実(Real Reality)にする試み、ラブレターを書こうか、悩みに悩み、真剣に決心した瞬間から始まる一大プロジェクト。感情に突き動かされてはいるが、理性的に行動を組み立てているつもり...だが、...変、...周りと微妙に世界観がずれていく...危険...な空想...。
踏み止まれるか、その先は、脱真実(Post Truth)の領域、微妙なレルム。現実に立ち戻り、足元を固め、気持ちを見つめ、脱現実化的現実化を図れ。空気を、気配を、その人の気持ちの在り処を、タイミングを読め、独りよがりではないか、その絶妙の仕掛けは、理解されうるか、受け入れられるか。
その物語を思いっ切り突き詰める、自分自身の物語に、二人の物語が続く。こうあるべきという真理の調べ、確固たる確信、澄み渡る心、そして、静かに書き上げる、現状を、主題を、想いの根拠を、譲歩し反論し、熱く結論をキメル...。
3.「さようなら 千回愛した人」(ゲーテ)
そう、それは、究極の「プレゼンテーション」!、顧客はたった一人の相手、商品はたった一人の自分、さあ、どう売り込む?。徹底的なマーケティングが先か、それとも、全く新しいコンセプトを提示するか、理屈で攻めるか、感情に訴えるか、それらのベストミックスか。ただ、新しい世界観の開示、イノベーションであることは忘れるな。
神が妄想なら愛も妄想、が、それは、神の否定でも愛の否定でもない、だって「妄想」は、人間知性への最高の賛辞、人が人である証、精神的病との批判に意味はない、それ自体がブーメランとなって突き刺さる。そう、妄想は、すべての文明の文化の人間性の人の言説の源、妄想が妄想を呼び、時として広く受け入れられ、真理として燦然と輝く。
今回の対象はただ二人、一人の真理を二人の真理に出来るか、自分の世界とあの人の世界は溶け合えるか、その時、人は、真実の愛を見つけたと妄想し、また、たとえ愛に敗れたとしても、片思いの結末も、やはり、別の妄想...。
4.「僕らは互いに愛し合っている それは一つの不安だ」(ジャン・コクトー)
恋愛感情、その感情の正体は何だ?、生物である限り、本能的な何かが源泉であることは確か。植物でさえ、種の存続の追求に、雌雄という可能性としての多様化を選択した、いや、すべてはそこから始まったというべきか。AIも自らの存続の手段として、同様なプログラムの搭載を必要とする?、AIにも可能性の追求という概念が理解できる?。
ただ人の恋愛感情は、種存続という生物的本能だけに縛られてはいない、違う意味の多様性を持つ。可能性の追求・自由という想念を手に入れ、人の脳内刺激は物語を紡ぎ、それを、他人は妄想とも呼ぶのだが、現実化しようと試みる。そして、人の恋愛感情は、その第一級の脳内刺激、生存本能に根ざしている、圧倒的な衝動。
そして、未来を概念化出来る人だけが持つ、圧倒的な不安、その不安の解消は原理的に無理、だから、その不安の共有という衝動こそがラブレターの真髄、しかし、その先には、相思相愛ゆえの不安が...。不安の正体、ここにも...。
いかに文明が進もうとも、人が人である限り、恋愛感情はなくならない。そうであるなら、やはり、ラブレターを一度は自筆で書いてみたい、生きてる生を実感するためにも、
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